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性は生にして聖に通ず
  1. 反省だけならサルでもできる、合体だけならロボットでもできる
  2. プリンは甘いが、不倫は苦い
  3. 性表現は世に連れ、世は性表現に連れ
  4. 枯れ木ほどよく燃える?
  5. 隠せよ、さらば隠されん
  6. 日本人男性性行動批判
  7. No!と言える日本女性
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  1. 同性愛、人権尊重=容認なのか?
  2. 古今東西、絶えることなきラバンの悪行
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隠せよ、さらば隠されん

ある牧師のいたずら
 あるいたずら好きの牧師のお話です。
 その牧師はお客さんをゲストルームに案内すると、さっそく説明を始めます。「部屋の照明はこうして点けます。それからこれがクーラーのリモコンで、ポットはこうしてお使いください」
 一通り説明を終えると、部屋の隅、天井際にある小さな窓を指さしてお願いするのです。「この部屋は御自由にお使いくださっていいのですが、あの窓から外だけは見ないようにお願いしますよ!」 さらに確認のために一通りの説明を繰り返した後も「いいですか。絶対あの窓から外は見ないでくださいよ」と再確認。最後に「では、ごゆっくり」と部屋を去ろうとするときも「あの窓から外だけは見ないようにお願いしますよ」と念を押します。
 部屋に一人残されたお客さん、お茶を入れて飲んでいても、一休みしていてもどうも落ち着きません。あの窓が気になって仕方ありません。何度も窓を見ては思案にくれます。とうとう我慢しきれなくなり、イスを部屋の隅まで動かして、そのイスに乗ります。そして、ついに窓から向こうを覗きました。
 さて、窓の向こうには、一体何が見えたと思いますか?
 窓の向こうに見えたものは、なんと、さっき部屋の説明をしてくれた牧師の顔だったのです。その牧師、うれしそうに笑って一言。「見ちゃあ、ダメって言ったでしょう!」さらに時計を見て一言。「うーん。15分か。まあ、ねばった方だな」
 この牧師、お客さんが教会に来るたびに、このいたずらを楽しんでおられるということです。

日本における禁じられた覗き窓
 日本の子どもたちは、このいたずらの被害者となったお客さんに似ているように思います。大人たちは子どもにこう語りかけているのではないでしょうか。「勉強しなさい。スポーツに励みなさい。友達を大切にしなさい。おうちのお手伝いもしなさい。でも、あの覗き窓から外を見てはいけませんよ」
 教会やクリスチャンホームでも、知らず知らずのうちに同じような信号を子どもたちに対して送っているのではないでしょうか。「礼拝を守りなさい。毎日お祈りし、聖書を読みましょう。互いに愛し合いましょう。でも、あの窓から外を覗いてはいけませんよ」と。
 覗き窓の向こうにあるもの、それは言うまでもなく性の世界です。それは子どもにとっては背伸びをしなければ見ることのできない、また、大人からは禁じられた魅惑の世界なのです。隠されれば見たくなるのが人情です。大人たちの隠そうとする姿勢を見れば見るほど、子どもたちの好奇心は高まります。やがて、その好奇心は抑えがたいものとなり、最後には背伸びをして窓の外を覗くことでしょう。

  子どもたちにとっての覗き窓
 子どもたちがこのようにして性の世界を覗き見ようとする時、彼らが選ぶ覗き窓は何でしょうか?自分の親でしょうか?学校の先生?それとも教会学校の先生や牧師?
 とんでもありません!隠そうという姿勢が明らかな大人たちなど、子どもが信頼するはずがありません!それまで隠し通してきた大人が一転して、本当のことを正直に話すことなど期待できるはずがありません。
 子どもは子どもなりに性に対する大人の姿勢を観察し、その臆病さや不誠実さを十分感じ取っているものです。中には、そのようなことを話題にして大人を困惑させてはならないと考える、配慮の行き届いた子どももいるようです。

 そこで、子どもたちが選ぶ覗き窓は、もっとも手近な友人とマスコミです。つまり、子どもたちにとっての性の情報源は友人の話やテレビや雑誌などになるわけです。日本社会に生きながら、氾濫する性情報の一部に触れた子どもは、それを友達に次々と言いふらします。このようにしてマスコミの主導によって、また友人間の口伝えで、性情報は子どもたちの中に浸透してゆきます。
 それらの情報がいかに商業的で、快楽主義的であるか、いかに一面的で偏った不正確なものであるかは分かりきっています。子どもたちには触れて欲しくないと願い、そのような情報を真に受けないで欲しいと思います。しかし、親も教師も、大人たちはもはや誰もそれを食い止めることはできません。

  いまどき寝た子などいない
 性教育については、いまだに「寝た子を起こすな」という発想の持ち主が多いのに驚きます。自信を持って言いますが、この発想は根本的に間違っています。理由は簡単です。今どきの子どもたちは誰も寝ていないからです!子どもたちはとっくの昔に目覚めているのです。そもそも「寝た子」という前提自体が成立しないのです。寝ていると思っているのは、現状認識の甘い大人だけです。
 「放っておけば自然に学ぶ」という性教育不要論者も多いようです。しかし、この性情報氾濫社会にあっては、「放っておけば自然に歪む」というのが現実ではないでしょうか?
 背伸びすれば覗けるような背丈になり、禁断の窓を覗いてしまった子どもたちを、私たち大人は責められるでしょうか?また、偏った性情報を流し、子どもたちを惑わす一部のマスコミを一方的に批判する資格など私たちにあるのでしょうか?十分な背丈になった子どもたちに本当のことを教えようとしない、いや、真実を隠そうとさえする大人の側の姿勢こそ、むしろ問われるべきではないでしょうか?
 このような姿勢は子どもたちの育成者としての責任放棄であり、それこそが、子どもたちを誤った性情報の犠牲者としている第一原因であると言っても過言ではないでしょう。

  隠すよりも正しく提供する
 すでに目覚めてしまった子どもたちに対しては、隠すよりも正しいものを提供するのが私たちの責任でありましょう。性の話題を避けて通るのでなく、聖書から祝福された正しい性のあり方を語り、教育することこそ大人側の使命でしょう。
 先日、ある教会で、性についての講演会をさせていただきました。講演後のことです。思春期の息子さんをお持ちのお母さんが、私に駆け寄りこうおっしゃいました。「私たち親が隠そうとすればするほど、息子の方も隠れて楽しもうとしました。これからは姿勢を改めたいと思います」
 性の世界も「求めよ、さらば与えられん」ではないでしょうか。正しい性情報と聖書的教育を提供した上で、子どもたちに対して「祝福された性」を求めていくなら、やがてそれは現実に与えられるでしょう。  一方、性に関する事柄を隠そうとするなら、子どもたちも大人から隠れて性の世界に入っていくことでしょう。

そこで今回の一言。

「求めよ、さらば与えられん。隠せよ、さらば隠されん」

子どもたちが性情報に翻弄されることのないよう、隠すのでなく、勇気を持って真実を語り、示してゆきたいと願います。それこそが、人類に性を祝福として与え、その祝福の道を聖書を通して示しておられる神さまの御心に違いありません。
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