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「瀬戸の花嫁」は幻想曲か?!

名曲「瀬戸の花嫁」に突っ込み
 「瀬戸の花嫁」という歌をご存知でしょうか?かつて小柳ルミ子さんが歌った国民的大ヒット曲です。 ワンコーラス32小節のこの曲、8小節ごとに見事な起承転結が繰り広げられております。
 「瀬戸は日暮れて夕波小波、あなたの島へお嫁に行くの」と瀬戸の海を赤く染める夕焼けの中、船に乗り嫁ぎゆく花嫁の姿を映画の一シーンのように描きながら、わずか8小節で場面設定を完結します。続いて「若いと誰もが心配するけれど、愛があるから大丈夫なの」と結婚に際しての社会状況とそれに対しての主人公の力強い決意を明らかにします。
 ここで短調に転じ、「段々畑とお別れするのよ。幼い弟、行くなと泣いた」と歌詞の内容も離別の悲しみに転じます。そして最後に「男だったら泣いたりせずに、父さん母さん大事にしてね。」と姉の立場からの結論を表明することによって完結感を与えています。
 さすがは名曲です。完璧なまでの構築力を伴って、非の打ち所のない美的世界を表現しています。 しかし、冷静になって聖書的視点から考えて見ますと、この名曲、思わず突っ込みたくなってしまいます。そこで、今回は二つの突っ込みを入れてみました。

愛があるなら大丈夫なの?
 「愛があるから大丈夫なの」という歌詞は大変魅力的ですが、よく考えてみると、まあ何と根拠のない楽観主義でしょう。この歌詞は花嫁の若さに伴う未熟さを露呈しています。
 「愛があるから大丈夫と思うその考えが若いんだよ!だから、皆が心配するんだよ!」と私などは思わず突っ込みたくなってしまいます。若い花嫁に対しては「愛があるなら大丈夫なの?」と逆に問い返したいくらいです。 
   「愛があるから大丈夫」とお互いの愛を信じて踏み出した結婚の多くが破綻することを私たちは知っています。破綻しないまでも、愛から始まった結婚が愛なき結婚に変貌してしまうのは決して珍しいことではありません。 むしろ、結婚については「大丈夫」と言えなくなるような危機が訪れないことの方が珍しいのではないかでしょうか。
 「愛が結婚を大丈夫にする」というのは美しい幻想に過ぎず、そのような愛に対する盲目的信頼がいかに危険なものであるかについては、結婚経験者の多くが体験的済みのはずです。
 そもそも私たち人間の愛はいかにも不真実で不安定です。状況が変われば、愛も変わります。時間が経てば愛も冷めます。相手が期待通りでなければ、愛は失望に転じ、相手に裏切られようものなら、愛は憎しみにさえ姿を変えます。
 そのような不真実で不安定な愛に根拠を置くなら、私たちの結婚はおよそ「大丈夫なの」とは言い切れないでしょう。その意味で、名曲「瀬戸の花嫁」は事実とは著しく異なる幻想を美化する「幻想曲」なのかもしれません。

男だったら、泣いたらいかんのか?
 もう一つ突っ込みたいのは「男だったら泣いたりせずに、父さん母さん大事にしてね」という歌詞です。この曲が抱かせるイメージは、花嫁はまだ10代、「幼い弟」は小学生程度というものでしょう。幼い弟に対して「男だったら」という理由で「泣いたりせずに」と要求するのは、あまりに酷なのではないでしょうか?
 さらに小学生くらいの子どもに「父さん母さん大事にしてね」と扶養義務を一方的に押し付けて去って行く態度は卑怯千万、愛を口実とした極めて自己中心的な責任回避とも言われかねません。 私などは「男だったら、泣いたらいかんのか?お前は父さん母さん大事にせんでもいいのか?」と説教したくなってしまいます。
 聖書中、「信仰の勇者」と呼ばれる男性たちの多くは涙をこらえるどころか、かなり頻繁に泣いています。特に勇者の代表であるダビデについては、涙と叫びの祈りこそが彼を勇者たらしめたと言ってもよいほどです。また、十戒の「あなたの父と母を敬え」は男女に関係なく高齢者扶養義務を命ずる戒めです。女性だからといって扶養義務が免除されているわけではありません。
 そう考えると、この歌詞はかなり非聖書的な男性像を弟に押し付けているものと言えるでしょう。

  伝統的な性役割の美化
 穿った見方をするなら、どうもこの名曲、極端なまでに伝統的で固定的な性役割を歌い上げ、それを美化しているように思えます。「愛を盲目的に信じ愛に生きるのが女の本分、涙をこらえて社会的使命に生きるのが男の本分」と言わんばかりの歌詞です。現実の日本社会に当てはめるなら「女は家庭、男は仕事」という価値観に相当するでしょうか?
 そのような性役割に生きるなら、そこにはある種の美しさがあるかもしれません。しかし、その生き方はあまり賢いものとは思えません。なぜなら、それは現実的ではないからです。愛に裏切られ終わっていく結婚という現実を私たちは見聞きしています。涙をこらえて仕えてきた会社に捨てられるという現実に今、日本社会は直面しています。 にもかかわらず、このような性役割に生きようとすることは、玉砕覚悟で激突することに美を見出す特攻隊的美意識のようにさえ思えます。
 愛があっても大丈夫でないのが現実、男でも泣いてしまうのが現実です。その意味で瀬戸の花嫁は幻想曲なのかもしれません。この曲が持つ格別の美しさは、現実感のないユートピア的な美しさに過ぎないでしょう。 そしてこの曲は非現実的な性役割をその美しさによって、聞く者の心の中に美化させ、定着させる力を持っているようです。

聖書的な性役割に生きる
 読者の皆さんは、性役割についてどのような見解をお持ちでしょうか?
実は私たちは歌謡曲やドラマのような大衆文化を通じて、あるいは男女共同参画社会を訴える一般社会の声によって、自らの内に「あるべき性役割」というものを形成してはいないでしょうか?
 「男と女とに彼らを創造された」(創世記1:27)とあるように性を創造されたのは神様です。その方の言葉である聖書の声よりも、社会にあふれる声によって私たちは性役割を理解し、自らそれを演じているのかもしれません。
 聖書が示す性役割については聖書理解によって多様性もあり、諸説もあるでしょう。しかし、少なくとも聖書がこのような日本古来の固定的な性役割を支持していないことは明らかです。男女とも家庭を尊び、委ねられた社会的使命を果たすことは、聖書が示す明らかな御心なのですから。
 今回は「愛があるなら大丈夫なの?」「男だったら泣いたらいかんか?」と大人気ない突っ込みを入れてみました。 本当に裏切られることのない愛、涙こらえて仕えても決して失望に終わらない使命、男女ともが、そういったものを必要としているはずですし、それらに賭けていく人生こそ本当の意味で美しいものであるはずです。そして、聖書は私たちにそのような愛と使命を示し、それに生きるよう導いているのです。

そこで今回の一言。

愛があるなら大丈夫なの?男だったら泣いたらいかんか? 同じ花嫁なら、瀬戸の花嫁より、キリストの花嫁!

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