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性は生にして聖に通ず
  1. 反省だけならサルでもできる、合体だけならロボットでもできる
  2. プリンは甘いが、不倫は苦い
  3. 性表現は世に連れ、世は性表現に連れ
  4. 枯れ木ほどよく燃える?
  5. 隠せよ、さらば隠されん
  6. 日本人男性性行動批判
  7. No!と言える日本女性
  8. 「瀬戸の花嫁」は幻想曲か?!
  9. サマリヤの女は演歌の女か?
  10. 日本にも押し寄せる?同性愛容認化の流れ
  1. 同性愛、人権尊重=容認なのか?
  2. 古今東西、絶えることなきラバンの悪行
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日本にも押し寄せる?同性愛容認化の流れ

確実に進みつつある同性愛容認傾向
 今、日本では、マスメディアや教育を通して同性愛容認化が急速に進んでいます。特に中高生たちの間では同性愛はもはや罪でも異常でもなく、その人なりの性愛の形として尊重すべきだとの考えが一般的なようです。クリスチャンの中高生や青年たちに接している方々からは、同様の傾向はクリスチャンの中にも顕著であるとうかがっています。
 学校教育の現場でも性教育に熱心な先生方の多くは、同性愛を医学的な異常や障害、あるいは倫理的な不道徳ではなく、単に少数派に現れる性的指向性として教えておられるようです。  こうした流れは世界的なもので、今や医学の世界では同性愛は治療対象ではなく、ヨーロッパの幾つかの国では同性間の結婚が合法化されています。

ポピュラー音楽はその手段?
 ロシア人少女のデュオ“タトゥー”が初来日した時のことです。この二人、日本のある大学の文化祭では大学生たちをステージに上げて、同性同士でキスをさせるというパフォーマンスを披露しています。これも同性愛を若者文化として定着させる意図か?などと私は危惧しています。
 今やポピュラー音楽は、ある思想や価値観などを世界規模で浸透させる最も有効な方法の一つとなっています。それは単に新たな音楽美を提示するだけのものではなく、新たなファッションやライフスタイル、そして明確な思想を伴って登場します。一例をあげるなら「LOVE&PEACE」という言葉に要約されるような思想は、まさにポピュラー音楽を通じて世界に伝達され、定着したといっても過言ではないでしょう。
 実は従来から同性愛者の主張は、ポピュラー音楽を通して社会に届けられてきました。しかし、キリスト教文化を持つ欧米ではそれを歌詞として直接的に表現することは困難です。そこで歌詞に二重の意味を持たせるという手法がよく使われてきました。
 歌というものは、作者の手元を離れた瞬間から聴き手の自由な解釈を受けることになります。それを逆手にとれば、歌詞の字面とは異なったメッセージを込めて、社会に向けて発信することが可能になります。つまり表面上は全く同性愛とは関係ない歌詞でありながら、そこに同性愛者としての主張を盛り込むことが可能となります。
 こうした手法によって同性愛について歌ったものは、一般にゲイ・ソングと呼ばれています。

  アメリカ産ゲイ・ソング“Y.M.C.A.”
 かつて西城秀樹さんが歌った“Y.M.C.A.”という歌をご存知でしょう。驚くなかれ、この歌は典型的なゲイ・ソングです。これは本国アメリカでは周知の事実です。その歌詞、表面上はキリスト教団体であるY.M.C.A.を賞賛しているかのようです。しかし、男性専用の宿泊施設であることが原因なのでしょうか、アメリカでは一部のY.M.C.A.は同性愛男性専用の宿泊施設となっています。
 さらに、これを歌ったヴィレッジ・ピープルは、同性愛者である音楽プロデューサーが結成した、全員が男性同性愛者の音楽ユニットです。これらを念頭に置けば、歌詞の裏側に込められた真意は明らかです。
 このヴィレッジ・ピープルは3曲立て続けにゲイ・ソングをヒットさせています。2曲目の“In the navy”では軍隊内での同性愛を、さらに3曲目の“Go West”ではゲイ・ムーブメントのメッカと言われるサンフランシスコを賞賛しています。

  ヒット曲、実は日本産ゲイ・ソング?
 私は少し前にスマップが歌った大ヒット曲、「世界にひとつだけの花」に一つの疑問を持っています。
 この歌は、花屋の情景に主人公が抱いたある思いを歌っています。
 「花はそれぞれが他の花と比較もせず、どれも誇らしげに咲いているのに、人間は人と比べて一番になりたがる。」と問題提起をし、結論として「小さな花や大きな花、一つとして同じものはないから、ナンバーワンにならなくてもいい、もともと特別なオンリーワン」と主張します。
 この歌詞は、画一的な日本社会にあって、自己の存在価値を見失いがちな私たちへの応援歌と解釈するのが一般的でしょう。筑紫哲也さんは「多様な価値観を認めることが平和への第一歩である」と受け止めたのでしょう、この曲を反戦歌だと解釈しています。まさに多様な解釈ができてしまうところがこの曲の魅力でもあり、落とし穴ではないかと私は思っています。
 この歌詞は、多くの牧師やクリスチャンたちからも高く評価され、よく説教や証詞で引用されているようです。
 クリスチャンも賛同できそうなこの歌詞、一体誰が発信しているのでしょう?「誰が」このメッセージを発信しているかによって、歌詞の意味は大きく異なるはずです。
 作詞作曲者の槇原敬之さんは、以前薬物不法所持で逮捕された際、同性愛者であることが公になっています。また、この曲を歌ったスマップが属するジャニーズ事務所の社長、ジャニー喜多川氏も、東京高裁から所属タレント(同性)への度重なるセクハラ行為があったと認定されています。
 さらにこの曲のリリースに際して、初めてスマップ担当となった振付師の椛島永次さんも、この曲のヒットを機に同性愛者であることを公にして、今やマルチタレントとしてお茶の間の人気者となっています。 つまり同性愛者が、自らの事務所のタレントに同性愛者の作品を歌わせて、同性愛者に振り付けを担当させているわけです。
 これらの情報を総合的に考えると、やはり私としては「この曲、実はゲイ・ソング?」と疑わざるを得ません。実際に同性愛者の人権運動の集会などでは、この曲は応援歌として歌われているそうです。皆さんの判断はいかがでしょうか?

多様性という名の逸脱
 もちろん、この曲を人生の応援歌として歌うことを問題視しているのではありません。また、私自身は同性愛者への差別を心から憎む一人であって、同性愛者の方々を侮辱する意図は全くありません。しかし聖書的な基準からは、同性愛を正しい性の一形態として認めるわけにはいきません。(私個人の同性愛についての見解は同性愛についての資料と牧会上の指針を御参照下さい。)
 私が危惧しているのは、この「ナンバーワンよりオンリーワン」という魅力的なフレーズが性の世界に適用されることです。多様性が尊重されることは大切ですが、それが「多様性という名の逸脱」に変質してはならないと考えるからです。
 性の世界には、多様性という名目であっても決して越えてはならない祝福の垣根があるのではないでしょうか?命への責任を伴い、愛に基づき、結婚の秩序の中で、そして異性間のものであること、これらは聖書が示す祝福の範囲ではないかと私は思うのですが、いかがでしょうか?
 日本の社会にあっても、私たちの気がつかないところで同性愛容認化が仕掛けられているのかも知れません。自らと若い世代のために、少し注意を払ってみませんか?

そこで今回の一言。

性の世界にナンバーワンなし、聖書の性はオンリーワン!

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